OB04:大部船瀬足尼 | 大部豊日 ― 大部船瀬足尼 ― 児玉惟行 | KD01:児玉惟行 |
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児玉就忠 | 児玉元良 |
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毛利元就譜代の家臣で、行政手腕に長けていたことから元就に厚く信任を受けた。元就には「家中での人あたりもよく行政手腕に優れている」と評されて、桂元忠とともに奉行となり、元就の政務の中心として働いた。 |
天文22年(1553年)に毛利隆元を烏帽子親として元服。永禄5年(1562年)に父の児玉就忠が病死すると家督を相続する。同時に毛利氏の五奉行の地位も引き継ぎ、天正12年(1584年)まで務めた。 |
児玉元次 | 児玉周姫 |
毛利輝元と毛利秀就の2代に仕えた。 |
「古老物語」によると、幼少の周姫(後の二の丸殿)が自宅門前で遊んでいたところ、美少女故に通りがかった輝元の目に留まり、その後、輝元はしばしば元良の広島時代の自宅を訪問するようになる。輝元のこの行動を快く思わない元良は、天正12年(1584年)に13歳の周姫を杉元宣に嫁がせた。しかし、輝元は諦めることなく佐世元嘉らに命令し、強奪して側室とした。これに立腹した元宣は、天正17年(1589年)の大坂の豊臣秀吉への直訴を計画するが、事の重大さに気付いた小早川隆景により野上庄沖にある大島の船隠で殺害された。 |
児玉春種 | |
吉川元春に奉行人として仕え、「春」の偏諱を与えられた。 |