<神皇系氏族>天神系

OB01:大部豊日  大部豊日 ― 大部船瀬足尼 OB04:大部船瀬足尼

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大部船瀬足尼

有道長道

有道惟能
 『先代旧事本紀』の「国造本紀」によれば、成務天皇の御代に物部氏の祖・伊香色雄命の3世孫の船瀬足尼(船瀬宿禰)が初代久自国造に任命されたという。船瀬足尼は舟瀬宿祢・舟瀬足尼とも表記する。また「船瀬足尼」は『先代旧事本紀』度会延佳神主校正鼇頭旧事紀・同書前田侯爵家所蔵安貞年間古写本による表記であり、同書神宮文庫本では「船瀬尼」と表記されている。  在道氏とも表記する。丈部長道・丈部氏道・丈部継道・丈部福道の4人が天長10年(833年)2月丙子に姓を有道宿禰と賜わった(『続日本後紀』)のにはじまる。

 藤原伊周の失脚により武蔵国に下向し、児玉郡を開墾した官人であると伝えられ、子息は武蔵七党の一角を占める武士団である児玉党(児玉氏)の祖である児玉惟行。惟行の父については系図によって伝承が異なり、藤原伊周とするものや児玉遠岩とするものもあるが、研究者の間では、通し字や伝承の観点から有道惟能こそが惟行の実父であると考えられている。
 『庄系図略図』の記述によると、長徳元年(995年)2月、内大臣藤原伊周公家令。長徳2年(996年)正月、従六位上、武蔵権介に任ぜられ、同年2月に解職とある。伝承によれば、武蔵介となった惟能は児玉郡を開墾し、解職後も定住したとされる。そして、その子息である惟行も児玉郡へ住み、地方豪族化した。

 

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