H502:三浦義明 | 平 高望 ― 平 将常 ― 平 忠通 ― 三浦義明 ― 佐久間家村 | H503:佐久間家村 |
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佐久間家村 | 佐久間朝盛 |
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佐久間氏の祖。佐久間氏は相模国の三浦義明の4男である多々良義春の嫡男・家村が佐久間姓を名乗ったことに始まる。安房国佐久間(現在の千葉県安房郡鋸南町上佐久間,下佐久間)がその所領であったことに由来するという。 |
和田常盛の嫡男として誕生。和田義盛の孫にあたる。『吾妻鏡』によると、鎌倉幕府3代将軍・源実朝に近習として仕え、実朝のお気に入りであったといわれる。 |
佐久間家盛 | 佐久間盛重 |
建保元年(1213年)、和田氏が滅ぼされた和田合戦の後、追捕を逃れて父・朝盛と共に安房国狭隈郷の家村の許に身を寄せた。 |
御器所城主。はじめ、織田信長の弟・信行(信勝)付きの家老で、天文20年(1551年)の信秀の葬儀では、信行に供奉している。 |
奥山盛昭 | 佐久間信辰 |
佐久間氏の一族だが、先祖のゆかりの地である越後国奥山荘(現新潟県胎内市)の地名を取って奥山姓を名乗った。 |
永禄3年(1560年)桶狭間の戦いにおいて善照寺砦で軍功を挙げた。 |
佐久間政実 | 佐久間実勝 |
江戸時代初期の旗本。佐久間与六郎の子とされるが、この与六郎を『寛政重修諸家譜』では盛明としているが、『尾張群書系図部集』によるとこれは間違いで、この与六郎は盛明の子である家勝をさすという。 |
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての茶人で旗本。諱を真勝,直勝ともいう。佐久間将監の名で知られる。茶道・宗可流の開祖。 |