文徳源氏

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坂戸康季 坂戸季実

 平安時代後期の武士。坂戸大夫判官と号して河内国坂戸牧に居住し、坂戸源氏の祖となった。
 白河天皇に仕え、応徳3年(1086年)白河天皇譲位ののちに北面武士を設置した際、平為俊,藤原盛重,源重時らと共に最初の北面武士の一人になった。嘉承2年(1107年)右衛門少尉、永久2年(1114年)左衛門少尉、永久5年(1117年)検非違使となり、保安2年(1121年)防鴨河判官になり、保安5年(1124年)に従五位下に叙位された。大治5年(1130年)3月14日、64歳で卒去。

 平安時代末期の武将。左衛門少尉。周防判官と呼ばれる。諱は末実とも。
 文徳天皇の皇子源能有に始まる家柄で、父の季範は鳥羽法皇に仕える北面武士だった。その関係もあり、季実は(保元元年)1156年の保元の乱に際しては後白河天皇の麾下に入り、はじめ淀路の警護に当たる。本戦において崇徳上皇方が総崩れになると、宇治路を固めて南都軍の備えに当たり、また藤原教長,源成雅の逮捕や、斬首された源為義の首実検、捕虜となった源為朝の護送といった戦後処理を担当した。
 しかし、乱の直後、信西の天王寺参詣の供を辞退したため、官位を剥奪され篭居する。このため、1159年の平治の乱においては藤原信頼,源義朝に同心して信西を討ち取り、一時的に従五位下河内守に任ぜられる。しかし、やがて平清盛の反撃に逢い敗走。官を解かれた上、嫡子の季盛とともに捕らえられ斬首された。