A233:伊香色雄命 | 伊香色雄命 ― 物部十市根 | MB04:物部十市根 |
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物部十市根 | 物部胆咋 |
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『日本書紀』等に伝わる古代日本の人物だが『古事記』に記載はない。 |
「物部」の「もの」とは、「武士」(もののふ)から来ているという説のほかに、神秘的なもの、精霊などの魂を示している、という説がある。 |
物部伊莒弗 | 物部 目 |
履中・反正天皇の時代に大連になり、石上神宮を奉斎したとされる。また『日本書紀』には、履中天皇のつくった磐余の都において、平群木菟宿禰・蘇我満智宿禰・円大使主とともに国事を執ったとある。『公卿補任』にも履中朝において執政に任官したとある。 |
『日本書紀』によれば、雄略天皇の即位により大連となる。雄略天皇元年、采女の童女君が雄略天皇の娘・春日大娘皇女を生んだ際、天皇は一晩召しただけで童女君が妊娠したため、春日大娘皇女を自分の子と認めないでいたが、目は「妊娠しやすい人は一晩でも妊娠する場合がある」とそれを諫め、春日大娘皇女を娘として認知させた。 |
春澄善縄 | 春澄洽子 |
天長5年(828年)に文章科の旧制への復帰に伴って俊士から文章得業生に転じると共に、兄弟姉妹5人と共に猪名部造姓から春澄宿禰姓に改姓している。天長7年(830年)に対策に丙第で及第。この年は淳和天皇の意向により、善縄のために内記の人員に欠員を生じさせており、対策の及第を待って、善縄は少内記に任命される。大内記を経て、天長9年(832年)には内位の従五位下に叙爵。 |
初名を高子といったが、元慶元(877年)2月に陽成天皇が母后藤原高子の名に触れる女官たちに改名を命じたため高子から洽子に改める。 |