<神皇系氏族>天神系

MB04:物部十市根  物部十市根 ― 物部布都久留 MB05:物部布都久留

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物部麁鹿火

物部小事

 麁鹿火の大連初任の時期は不明だが、『日本書紀』の武烈即位前紀に大連として初めて名が現れる。武烈天皇の崩御後、継体天皇の擁立を働きかけ、その即位後に大伴金村と共に再び大連に任ぜられる。継体天皇6年(512年)12月、百済へ任那四県の割譲の際、麁鹿火は百済の使者に割譲の容認を伝える宣勅使となるが、妻からの諫めにより考えを改め、病と称してその役を辞退する。同21年(527年)6月、九州北部で反乱を起こした筑紫国造磐井の征討将軍に就任、天皇から筑紫以西の統治を委任された。翌年11月に筑紫三井郡にて磐井を破って処刑し磐井の乱を平定した。その後の安閑天皇・宣化天皇の代にも大連を務め、宣化天皇元年(536年)7月に没する。
 『古事記』にも物部荒甲の表記で記述され、金村と共に竺紫君石井(磐井)討伐の任に当たったことが見える。

 『先代旧事本紀』「天孫本紀」は、宇摩志麻治命12世の孫で、志陀連,柴垣連,田井連らの祖とする。このうち志陀連を、志太連あるいは信太連とみて、『常陸国風土記』にある常陸国信太郡の建郡に関わった物部河内・物部会津や、『続日本紀』延暦5年(786年)10月21日条で外従五位下の位階を授かった常陸信太郡大領の物部志太連大成などを小事の子孫とみる説もある。また、『続日本後紀』には、坂東を征し、その功勳により下総国に匝瑳郡が建郡されたとし、物部匝瑳氏(匝瑳連)の祖とする記事がある。物部匝瑳氏は鎮守府の高官を輩出し、足継・熊猪・末守が鎮守将軍に任ぜられている。
 このため、信太連(志陀連・志太連)の常陸国信太郡と匝瑳連の下総国匝瑳郡にはさまれた下総国香取郡や香取神宮と小事の関係も説かれ、現在の千葉県匝瑳市にある老尾神社の祭神を小事とし、香取神宮の大禰宜の香取連を物部氏とする説もある。

 

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