<天神系>

A211:神産巣日神  神産巣日神 ― 角凝魂命 A213:角凝魂命

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天湯河桁命

 『日本書紀』には以下のような物語が語られている。 垂仁天皇の皇子・誉津別皇子は30歳になって鬚が生えても物を言わずに、幼子のように泣いてばかりいた。ところが、鵠を見て「これは何だ」と片言を発したため、天皇は鵠を見て物を言うことができたのだと喜んだ。そこで天湯河板挙(天湯河桁命)に鵠を捕まえるように命を下した。天湯河板挙は出雲国(但馬国とも)まで追いかけて鵠を捕獲した。
 1ヶ月後、天湯河板挙は天皇に鵠を献上した。誉津別皇子はその鵠とたわむれているうちに、言葉を話すことができるようになった。その報賞として、天湯河板挙は姓を与えられ、「鳥取造」と名乗った。あわせて、鳥取部・鳥養部・誉津部が定められた。
 『古事記』にも似たような物語がある。ただし、こちらに登場する捕獲人は山辺大鶙であり、鵠を捕らえるために諸国をめぐり、罠を仕掛けるなど、かなりの苦労の跡がみられる。また、それによって皇子の唖が治ったわけではなく、天皇の夢のお告げ、曙立王の占いがあり、大国主神のために神殿を建てたり、仮山を築いたりもしている。