百済系渡来氏族

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大内弘盛

 治承元年(1177年)6月の鹿ケ谷の陰謀で多々良盛保,多々良盛房,多々良弘盛,多々良忠遠らは連座して伊豆,常陸,下野,安房に流罪にされた。治承2年(1177年)10月5日には4人とも罪を許されたが、弘盛は在庁で力をもち始め、寿永年間から大内介・権介を称している。
 源平合戦では平氏追討を務める源範頼らに周防を前線基地として提供し、源氏に味方をすることで地歩を固めていく。そのためか壇ノ浦の戦い後には、在庁の最高権力者としての地位を固め、法皇により周防に派遣された重源の国務行為を地頭と共に妨害したりしている。
 以後、弘盛の子孫によって大内介は継承されていくことになる。