百済系渡来氏族

KDR1:百済王朝1  百済王朝1 ― 多々良正恒 OU01:多々良正恒

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多々良正恒

 多々良公氏は、『新撰姓氏録』山城国諸蕃条によれば、加羅の王・爾利久牟王の末裔であり、欽明天皇の御世に渡来し、金の多々利,金の乎居等を献じたため、多々良公の姓を賜ったという。また、周防国にも、延喜8年(908年)の玖珂郡玖珂郷戸籍公文に「年陸拾陸歳 耆老」の多々良公秋男という人物が見え、後の在庁官人としての多々良氏・大内氏の先祖とする説が存在する。
 一方、『大内多々良氏譜牒』には、大内氏の祖は百済の聖明王の第3子・琳聖太子で、推古天皇19年(611年)に周防国佐波郡多々良浜に漂着し、摂津国荒陵で聖徳太子に謁し、太子から周防国大内県を采邑として与えられ、多々良という姓を賜り、その地へ下向し本拠にしたと伝えている(中略)。
 琳聖の子孫が正恒で、はじめて多々良氏を賜った。系図では、正恒を琳聖7代の孫としている。通俗本の類では、琳聖と正恒との間に琳龍太子,阿戸太子,世農太子,世阿太子,阿津太子の名を加え、山口龍福寺の牌にもこの五太子の名が残るが、後世の偽作とされている。なお、多々良は姓ではなく氏である。中古から姓と氏とを混乱している。