百済系渡来氏族

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大内満盛 大内弘貞
 周防大内氏の第18代当主。大内介を称する。満盛以後は周防権介を称する。建永元年(1206年)に山口白石の宝珠山瑞雲寺を創建した。これが後年に激しくなる大内家の山口盆地への進出の端緒となった。満盛の死後、家督は子の弘成が継いだ。

 祖父・満盛は鎌倉幕府の設立に貢献し、周防・長門国における領地を広げたが、西国武士ということもあって完全なる幕府の管轄は受けなかった。
 しかし、弘貞は幕府の御家人に近いような振る舞いをするようになり、幕府による閑院御所の造営にも加担した。弘安4年(1281年)の元寇の際には幕命を受けて、豊前国へ進出。元軍に備えた。
 弘貞は信仰心篤い武将で、古尾にあった八幡宮を分けて、須川に北方八幡宮を、そして吉沢に南方八幡宮を建立した。さらに康元2年/正嘉元年(1257年)に興隆寺に鐘を寄進。文永3年(1266年)、宮野中村熊坂に大照寺を創建した。現在も残る右田ヶ岳観世音菩薩の縁起についても、文永11年(1274年)に弘貞が夢を見たことをきっかけに堂宇を建てて、観世音菩薩像を収めて連日参詣し、周防国の守護仏としたことが始まりとされる。その他、瑞雲寺(柳井市)など周防国内の多くの寺院の創建に関わった。