MT55:松平直政 | 徳川家康 ― 結城秀康 ― 松平直政 ― 松平近栄 | MT56:松平近栄 | ● |
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松平近栄 | 松平直義 |
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寛永9年(1632年)9月28日生まれ。明暦元年(1655年)11月7日、叔父の直良の娘婿となってその相続者と目されていたが、直良に実子の松平直明が生まれたため、寛文6年(1666年)に兄の松江藩主・松平綱隆から3万石を分与されて広瀬藩を立藩した。最初は蔵米による支給だったと言われている。 |
美作国津山藩主・松平長孝(出雲広瀬藩第3代藩主・松平近朝の3男)の次男として誕生。母は藤堂高治の娘。初名は長善、のち近義,直義と改名。通称は主税。 |
松平直諒 | 松平直巳 |
第8代藩主・松平直寛の長男。母は内藤政韶の娘。有能で、俳諧・絵画・書道を嗜むなど多趣味な人物で、歴代藩主のほとんどが江戸に定府していたのに対して、直諒は嘉永3年(1850年)に父が死去して家督を継ぐと、ただちに国元に入って製糸業や製油業,和紙,鋳物,陶器,織物(広瀬絣)等の産業奨励、文化の奨励などを行い、領民に善政を敷いた名君であった。このため、領民も直諒を暖かく出迎えたという。文久元年(1861年)9月5日(異説として7月19日)に広瀬にて死去した。享年45。跡を弟の直巳が継いだ。 |
8代藩主・松平直寛の11男として誕生した。母は側室の安達氏。文久元年(1861年)、兄・直諒の死去によりその養子として家督を継いだ。しかし兄のように有能ではなく、幕末期の政局に耐えられる人物ではなかったため、藩は混乱したという。しかし家老の岩崎広勤の手腕により、医学所や洋学所を設置して人材育成に努めた。 |