G637:片桐俊元 | 片桐俊元 ― 池田長政 | KI19:池田長政 | ● |
リンク | {KI11}{H542}{ZZ04} |
池田長政 | 池田長明 |
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天正3年(1575年)、池田恒興の4男として尾張国犬山に誕生した。幼少時に片桐俊元の養子となり、慶長2年(1597年)に俊元が死去すると、家督と三河国新庄7000石の所領を継いだ。 |
慶長11年(1606年)、岡山藩家老・池田長政の嫡男として備前下津井に誕生する。慶長12年(1607年)に父・長政が死去し、幼児では要衝の地の下津井を治め難いとの理由から、領地を平福に移される。実家に戻る母に連れられて、祖父・加藤嘉明の領地伊予松山に行き養われる。 |
池田長喬 | 池田長仍 |
延宝4年(1676年)、岡山藩家老・池田長久の嫡男として周匝に誕生する。天和3年(1683年)、藩主・池田綱政に御目見する。元禄10年(1697年)、父・長久の死去により家督相続し、岡山藩仕置家老,周匝2万2000石の領主となる。名を靫負と改める。 |
享保10年(1725年)、岡山藩家老・池田長處の子として周匝に誕生した。庶子として生まれたため、家臣・大沢治右衛門に預けられて養育された。享保17年(1732年)、藩主・池田継政の命で父・長處の嫡子となる。享保18年(1733年)、継政に御目見する。宝暦4年(1754年)閏2月、長處の隠居により家督相続し、岡山藩家老,周匝2万2000石の領主となる。 |
池田長玄 | 池田長貞 |
寛保元年(1741年)、岡山藩家老・池田長處の子として周匝に誕生する。寛政元年(1789年)、兄・長仍の隠居により家督相続し、岡山藩家老,周匝2万2000石の領主となる。 |
寛政10年(1798年)、生坂藩主・池田政恭の次男として生まれる。岡山藩一門家老・池田長紀の養子として迎えられた。実父の政恭は岡山藩第5代藩主・池田治政の庶長子で、第6代藩主・斉政の実兄であるが、支藩生坂藩主・政房が夭折し、無継嗣による改易を防ぐために身代わりとなって生坂池田家を相続していた。長貞は父の実家の一門家老家に養子入りし、実の叔父である藩主・斉政に仕えることになる。 |
池田長常 | 池田長準 |
文政3年(1820年)池田長貞の子として岡山に生まれる。嘉永4年(1851年)、父・長貞の隠居により家督相続し岡山藩家老,周匝2万2000石の領主となる。慶応元年(1865年)、藩主・池田茂政に仕置家老に任じられる。慶応3年(1867年)には軍事御用惣引請となり岡山藩の兵制改革を行った。慶応4年(1864年)隊員を主に足軽からなる銃隊19隊を編成した。 |
嘉永6年(1853年)、岡山藩家老・池田長常の次男として岡山に生まれる。明治3年(1870年)に父・長常の隠居により家督相続。閑谷学校で山田方谷に陽明学を学ぶ。英田郡長,磐梨郡長,二十二銀行取締役,二十二貯蓄銀行頭取を歴任。明治33年(1900年)男爵に叙され華族となる。 |