| G131:源 国房 | 源 頼光 ― 源 頼綱 ― 源 国房 ― 土岐光衡 | G132:土岐光衡 |


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| 土岐光衡 | 土岐光行 |
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美濃源氏の嫡流・土岐氏の祖。治承・寿永の乱(1180~85年)で討死した源光長の末子であったが、伯父・光基の養子となり土岐氏の嫡惣を継承した。 |
父に続き土岐氏の惣領として鎌倉幕府の御家人に列したが、在京し後鳥羽院の西面武士をも務めるなど朝廷との繋がりも深かった。建保4年(1216年)左衛門尉に任ぜられ、源実朝の征夷大将軍叙任拝賀の際には随兵となり、後鳥羽上皇は光行の武勇と土岐家勢力を期待し院中鍛練の御刀を下賜した。 |
| 土岐光定 | 船木頼重 |
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得宗家から妻を迎えるなど光定の時代には土岐氏が美濃の有力御家人へと成長していたことが見て取れる。また、光定は美濃国内の本領のみならず伊予国に地頭職を得ていたといわれ、任地に下って所領の経営にあたったとされる。『吾妻鏡』建長2年(1250年)3月1日条に「土岐左衛門跡」が閑院殿の造営に関し築地3本を寄進したことが見えることから、これが左衛門尉光行の跡を継いだ光定の初見とみられる。 |
船木氏の祖。美濃・近江に所領があったが、のち後醍醐天皇にしたがって讃岐高松荘を与えられる。建武2年(1335)、讃岐で挙兵した細川定禅を攻撃し敗れた。 |
| 船木頼員 | 敷根頼元 |
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元亨4年(1324年)9月、鎌倉幕府に反発していた後醍醐天皇の倒幕計画を妻に漏らしたことで露見し、正中の変を引き起こした。 |
敷根氏は大隅国の国人。清和源氏流美濃源氏の嫡流・土岐氏を祖とし、その子孫が元暦元年(1184年)に大隅小河院敷根村を拝領し下向、兵乱を避けて一時肥後国の球磨へ逃れ、再び敷根に戻った際に敷根氏を称した家で、先祖代々敷根を領してきた。 |
| 敷根立頼 | 島津久頼 |
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島津庶流の島津忠長の3男として誕生したが、慶長3年(1598年)に敷根氏15代の敷根頼元が男子の無いまま慶長の役出征中に溺死していたことから、翌慶長4年(1599年)4月に主命により、頼元の娘婿となりその家督を継いだ。また同年8月、田上より高隈へ移封となった。 |
祖父は宮之城島津家の祖である島津忠長で、父の立頼はその3男であるが、大隅国の国人で土岐氏の末裔である敷根氏を継いだ。久頼は立頼の次男として生まれたが、寛永10年(1633年)に家督を継いでいた兄の頼国が嗣子の無いまま20歳で早世したため、久頼が跡を継ぎ、敷根蔵人頼喜を名乗った。 |