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近藤康用 | 近藤秀用 |
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父の忠用と共に今川氏に従っていた為、知行221貫文を安堵されていた。今川氏の領国支配力に不安が見え始めた桶狭間の戦い以降も、同僚の鈴木重勝に同調、今川氏の傘下でいることを継続した。 |
父の康用は永禄11年(1568年)末、徳川家康の遠州攻め入りで今川氏方を離反した井伊谷三人衆の一人として知られる。老齢や戦傷を負い歩行困難であった父に代わって秀用が戦役を担っていた。秀用は姉川の戦い、三方ヶ原の戦い、小田原征伐などでいずれも軍功を挙げ、特に小田原征伐では豊臣秀吉からも賞賛された。
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近藤用義 | 近藤用将 |
大坂の役ののち、小姓組となる。父秀用の小田原城番の時にその職務を補佐する。寛永3年、小田原で没する。享年31。
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父が祖父近藤秀用より先に没していた為、寛永8年(1631年)、秀用の遺領から5,450石を分知され、井伊谷近藤家の祖となる。寛永9年(1632年)9月、井伊谷の八幡宮本殿を再興した。寛永14年2月3日(1637年2月27日)、初めて所領の井伊谷に入るも、閏3月21日(5月15日)には江戸へ出立した。 |