<藤原氏>北家 長良流

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藤原範永

 長和5年(1016年)、六位蔵人に任命される。寛仁元年(1017年)、修理権亮に任ぜられたのち、寛仁3年(1019年)従五位下・式部大丞に叙任。伯耆守,甲斐権守を務め、治安3年(1023年)春宮少進として後朱雀天皇に仕える。長元年間に従四位下まで昇り、尾張守、長久4年(1043年)従四位上、寛徳2年(1045年)大膳大夫。
 天喜元年(1053年)、但馬守に任ぜられ3年後、正四位下に叙される。阿波摂津紀伊守を務め、藤原頼通の七十賀に参会している。延久頃(1070年頃)に出家。津入道と号す。
 後代、一子・良綱の子孫が高倉家,堀河家,樋口家として堂上家に列した。
 長久2年(1041年)『弘徽殿女御歌合』、永承5年(1050年)6月の『加賀院歌合』、天喜4年(1056年)『皇后宮寛子春秋歌合』などに参加。康平6年(1063年)、『公基朝臣歌合』では判者を務めた。受領層の歌人集団・和歌六人党では指導的立場にあり、相模,能因をはじめ多くの歌人との交流が知られる。『後拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に計30首が入集。家集『範永朝臣集』がある。