平安時代末期の歌人。藤原北家長良流。本名は永綱といい、この名で表記することもある。和歌六人党の一人に数えられる歌人藤原範永の曾孫。散位・藤原永雅の子で、母は肥前守・藤原成季女。出家後の法名は西遊。 久安5年(1149年)、右衛門督家成歌合において「散位範綱、前馬助」としてその名が見え、仁安元年(1166年)、中宮亮藤原重家歌合では「西遊」と称しているため、この間に出家したものと考えられる。勅撰和歌集では『詞花和歌集』に1首、『千載和歌集』に2首の和歌が入集する。