F328:柳原資行 | 藤原真夏 ― 日野資業 ― 日野実綱 ― 日野有信 ― 日野資長 ― 日野資宣 ― 柳原資明 ― 柳原資行 | F329:柳原資行 |
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柳原資廉 | 柳原紀光 |
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柳原資行の第2子として京都に誕生。母は園基音の姫であり、同じく園基音の姫を母とする霊元天皇とは母方の従兄弟にあたる。資廉が柳原家歴代当主の中でも特に栄進したのはこれが大きな背景であった。はじめ方光という長男がいたが、病弱であったために資廉が代わりに柳原家の世子となる。柳原家は藤原北家真夏流の日野家の庶流で、名家(大納言まで出世できる家格)にあたる。南北朝時代に日野俊光の4男・日野資明が居住していた柳原殿を名字として起こした家柄である。 |
幼名は綱丸、初名は光房。妻は勧修寺顕道の娘・道子。歴史書『続史愚抄』の著者。 |
柳原前光 | 柳原愛子 |
明治天皇に仕え、大正天皇の生母である柳原愛子は前光の妹である。白蓮事件で有名になった歌人の柳原白蓮は前光の次女(妾で芸者”おりょう”との間の子)である。また、前光の長女・信子は入江為守子爵に嫁いだので、昭和天皇の侍従長でエッセイストとしても有名な入江相政は前光の孫にあたる(相政は入江為守・信子夫妻の3男)。 |
明治天皇の典侍。大正天皇の生母。位階の正二位をもって二位の局と呼ばれた。死後、従一位を追叙されたことから一位の局と呼ばれることもある。女房名は梅ノ井,早蕨内侍など。「筑紫の女王」と呼ばれた柳原白蓮は姪にあたる。 |
柳原義光 | 柳原燁子 |
1876年(明治9年)、柳原前光伯爵の長男として生まれる。母は正室で伊達宗城の次女の初子。慶應義塾に学び、1894年(明治27年)、父の死去により18歳で伯爵家を継ぐ。1896年(明治29年)、明治天皇に拝謁して天盃を賜り正五位。宮中御用掛、日露戦争の功により勲等を受ける。1904年(明治37年)7月10日、貴族院伯爵議員となる。 |
大正三美人の1人。父は柳原前光伯爵、母は前光の妾のひとりで没落士族の娘で柳橋の芸妓となっていた奥津りょう。東京に生まれた。大正天皇の生母である柳原愛子の姪で、大正天皇の従妹にあたる。 |
柳原博光 | |
日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。伯爵。 |