AB01:阿倍阿加古 | 阿倍阿加古 ― 安倍兄雄 | AB02:安倍兄雄 |
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安倍兄雄 | 安倍吉人 |
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延暦19年(800年)従五位下に叙爵され、翌延暦20年(801年)少納言に任官する。桓武朝末の延暦25年(806年)3月に中衛少将に任ぜられる。 |
弘仁14年(823年)従五位下より従五位上に叙され、天長4年(827年)正五位下、天長5年(828年)従四位下と、淳和朝前半に順調に昇進する。また淳和朝では式部大輔を務めている。 |
安倍房上 | 安倍晴明 |
斉衡3年(856年)従五位下に叙爵し、大炊頭に任ぜられるが、まもなく安房守に転じる。 |
921年(延喜21年)に摂津国阿倍野に生まれたとされる。また、生地については、奈良県桜井市安倍とする伝承もある。幼少の頃については確かな記録がないが、陰陽師の賀茂忠行・保憲父子に陰陽道を学び、天文道を伝授されたという。加茂氏の門下生であり、のちに両家は二大陰陽家となる。 |
安倍吉平 | 安倍吉昌 |
吉平は正暦2年(991年)に陰陽博士であったことが知られ、正暦4年(993年)頃に陰陽助などを務めた後、長和5年(1016年)に従四位下に叙され、弟・吉昌死去後の寛仁3年(1019年)6月9日に天文密奏の宣旨を受けた。治安元年(1021年)の春日大社行幸の準備の功労によって従四位上に叙される。 |
吉昌は天禄元年(970年)に賀茂保憲の推挙で天文道の学生である天文得業生に補され、寛和2年(986年)には晴明の後任として天文博士に任じられ、晴明生前の寛弘元年(1004年)に陰陽頭に任ぜられている。本来は陰陽頭は賀茂氏や大中臣氏などの格式の高い陰陽家が歴任していたが、吉昌以降、安倍氏と賀茂氏の安賀両家によって代々世襲され、やがては安倍氏(室町時代以降は土御門家と称する)が独占していくこととなった。 |
安倍宗明 | |
権天文博士に任ぜられ、たびたび天文密奏を行っている。例えば、康和5年(1103年)2月16日と永久元年(1113年)7月16日に発生した月食の際に天文密奏を行ったことが藤原忠実の日記『殿暦』に記されている。その他の天変や地震などの際にも宗明が天文密奏を行ったことが『殿暦』や『中右記』などから知ることができ、陽明文庫所蔵の『諸道勘文』には天仁3年(1110年)5月11日に宗明が提出した天文道の勘文が記されている。 |