高平山砦跡
たかひらさんとりであと(Takahirasan Fort Ruins)
【C-SZ111】探訪日:2024/4.5
静岡県周智郡森町飯田2130
【MAP】
〔駐車場所〕
築造年は定かではないが、戦国時代にはすでに遍照寺が建立され、戦時には境内が砦として活用されたと考えられている。遍照寺は今川氏と関連があったとされる。
砦跡は標高88.5ⅿ,比高63ⅿの丘陵上に位置し、広大な単郭で東西に90ⅿ、南北にも200mを測る。遍照寺本堂の横には1718(享保3)年に造立された大日如来坐像(森町指定文化財)が建つ。本堂裏など周辺には土塁の一部が残存する。南端には幅6mほどの堀切が設けられ、また、南端の細尾根の東側には幅7m以上の横堀が発見されているが、この横堀の位置(方向)から武田氏が徳川方の久野城を意識して築いた(改修した)砦とする見方があり、高平山砦は、1572(元亀3)年10月に武田信玄が遠州侵攻した際に飯田城とともに落としたとされる「たたらの城」とも考えられている。信玄はここを拠点として久野城を攻略し、一旦北上して二俣城を開城させ、12月22日には三方ヶ原の戦いに及んだことになる。
高平山砦のすぐ南西には本庄山砦跡、東には宇刈北城跡がある。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1572年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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武田信玄 | G433 |
県道58号線(袋井春野線)の1本東の道路に高平山遍照寺への案内板が立っている。車で遍照寺(主郭)まで行けないことはないが、道はかなり狭く(一時、サイドミラーをたたんだ)、そのうえ急カーブも数ヶ所あり、小型車では切り返しながらの走行となるため、徒歩で登ることをお勧めする。郭の南側については雑木と急傾斜になっており、縄張り図のような地形は今回確認できなかった。
高平山砦縄張図(『静岡県の城跡 中世城郭縄張図集成(西部・遠江国版)』に加筆)