文殊院西古墳
もんじゅいんにしこふん(Monju-in Nishi-Kofun Tumulus)
【K-NR033】探訪日:1994/7.3・2017/8.27
奈良県桜井市大字阿部645
【MAP】
〔駐車場所〕
安倍文殊院内の阿部丘陵の西端部に築造された古墳である。墳丘は削平を受けており古墳の原状は不明だが、径約25m,高さ約6mほどの円墳であったと推定される。7世紀中頃の古墳で安倍(阿倍)氏一族の墓であることはほぼ確実視され、649(大化5)年に亡くなった安倍倉梯麻呂(氏が阿倍倉梯と阿倍内の複姓、名が麻呂と考えられる)の墓であるともいわれる。
室町時代にはすでに開口したことが知られる。主体部の埋葬施設は切石の両袖式横穴式石室で、横穴式石室のうちでは最も精巧な切石石室として重要視される古墳である。石室規模は全長12.48m、玄室長さ5.1m,奥壁幅2.86m,高さ2.77m、羨道長さ7.39m,羨門幅2.1m,高さ1.97m。玄室では磚状に研磨された花崗岩が5段に積み上げられて天井には巨大な一枚石を架し、羨道では巨石が1段積みで並列するほか、各所細部にも工夫が認められる石室である。墳丘表面での葺石や埴輪は認められておらず、出土品も知られていない。
現在では玄室に願掛け不動が祀られており、信仰対象となっている。
なお、阿部丘陵では巨石墳として本古墳のほかにも谷首古墳,艸墓古墳などが知られるほか、安倍文殊院境内にも玄室と同形の石が点在しており、本古墳とは別に同様の石室古墳が存在した可能性がある。
【史跡規模】 |
【指 定】国特別史跡(1952年3月29日指定) 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 飛鳥時代 |
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関連年号 | 649年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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安倍倉梯麻呂 | AB01 |
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▲【転載】羨道(開口部方向)
▲【転載】石室玄室