安倍文殊院
あべもんじゅいん (Abemonju-in Temple)
【T-NR002】探訪日:1994/7/3・2017/8/27
奈良県桜井市大字阿部645 <📲:0744-43-0002>
【MAP】
〔駐車場所〕
大化の改新の時に左大臣として登用された安倍倉梯麻呂が645(大化元)年に孝徳天皇の勅願もあって安倍氏の氏寺として安倍山崇敬寺(安倍寺)を建立したのが始まりである。本尊は文殊菩薩。切戸文殊(京都府),亀岡文殊(山形県)とともに日本三文殊に数えられる。
創建当時の寺地は現在の文殊院の西南300mほどのところ(現・安倍寺跡)にあったが、平安時代末期に多武峰の妙楽寺(現・談山神社)の僧兵によって焼き討ちされ全焼した。
鎌倉時代になると拠点を現在地にあった崇敬寺智足院別院の満願寺に移して再興がなされた。その際、安倍寺が東大寺の末寺であったこともあり、東大寺の復興に尽力した重源上人の縁で仏師快慶の手によって本尊の文殊菩薩像が作られている。それにより満願寺は別名を文殊堂ともいわれ、塔頭寺院も28坊あり大和十五大寺の一つとして隆盛を誇った。
しかし、1563(永禄6)年に松永久秀の軍勢に焼かれてしまい、本尊を始め幾つかの仏像は焼け残ったが、建物はほぼ全焼し衰微してしまう。1665(寛文5)年、元安倍寺満願寺の本堂・文殊堂が再建され復興される。
明治になり、当寺は廃仏毀釈をくぐりぬけ、名称も文殊院となっていったが、かつて敵対していた多武峰の妙楽寺は廃寺とされ、新たに談山神社となった。その際、不要となった妙楽寺の本尊である釈迦三尊像は奇しくも当寺が引き受けることとなり、現在も保存されている。
また、当院では陰陽師の安倍晴明が陰陽道の修行をしたともいわれ、2004(平成16)年には晴明堂が約200年ぶりに再建されている。
境内には、快慶作の木造騎獅文殊菩薩及び脇侍像が安置されている本堂、元は多武峰妙楽寺の本尊であった釈迦三尊像が安置されている釈迦堂、白山神社本殿(重文),金閣浮御堂(仲麻呂堂),晴明堂等のほかに、文殊院西古墳と文殊院東古墳がある。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 飛鳥時代 | 戦国時代 | 江戸時代:初期 |
関連年号 | 645年 | 1563年 | 1665年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
安倍倉梯麻呂 | AB01 | 重源上人 | **** | 快慶 | **** |
松永久秀 | **** |
安倍晴明 |
AB** |
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▲表山門
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▲駐車場出入口
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▲本堂
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▲本坊
▲伊勢神宮への大道標
▲金閣浮御堂(仲麻呂堂)
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▲白山堂
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▲白山堂と合格門
▲晴明堂
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▲文殊院西古墳
▲文殊院東古墳(閼伽井窟)