箱柳城跡
はこやなぎじょうあと (Hakoyanagi Castle Ruins)
【C-AC292】探訪日:2020/3/25
愛知県岡崎市箱柳町日陰
【MAP】
〔駐車場所〕
1156(保元元)年の保元の乱で平忠正(清盛の叔父)は藤原頼長に加勢したことで平清盛に処刑されるが、子の一人である七郎正持は母に伴われて中根村に遁れ、成人して箱柳村に住した。そして、成人するまで世話になった中根村の中根を姓とした。
正長年間(1428~29年)に中根平右衛門盛清が箱柳城を築き、平右衛門忠盛-日野正清-新九郎政綱-彦右衛門忠明-傳七正邦-七郎兵衛忠利を経て、8代・中根肥後守忠良のときには道根六郷を支配するまでに勢力を拡大していた。そして、その次男・平右衛門正照は家康の家臣となり、1572(元亀3)年には遠州二俣城主となる。しかし、同年の武田信玄西上の際、二俣城の戦いで武田軍に城を明渡し浜松城に敗走したことを恥じ、3日後の三方ヶ原の戦いで戦場に散った。
城跡は現在は竹薮となっており、石積みの個所が多く見られるが、当寺のものか後世のものか判別がつかない。
なお、道を挟んだ聖徳寺には中根氏祖代々の墓がある。