見晴台遺跡
みはらしだいいせき (Miharashidai Ruins)
【V-AC005】探訪日:2020/1/31
愛知県名古屋市南区見晴町47
【MAP】
〔駐車場所〕
笠寺台地の東縁に位置する約2万年前の旧石器時代から室町時代にかけての遺跡であるが、残されている遺構の時期は、弥生時代中期から古墳時代初頭、約2000年前から1700年前が中心となっている。なかでも1941(昭和16)年に銅鐸を模した「銅鐸形土製品」と呼ばれる土器片が出土したことで有名になった。これは1937(昭和12)年に名古屋市西区の西志賀貝塚に次いで日本で2例目である。また、隣接する桜田貝塚では1917(大正6)年から翌年にかけて弥生時代の魚形土器が見つかっている。
最も古い遺物は約2万年前に作られたとされる角錐状石器である。それ以後、縄文時代の生活痕跡はあまり多く残されていないが、縄文時代晩期の約2500年前の遺物として台地東側の低地部分でドングリやクルミなどの堅果類の貯蔵穴が見つかっている。
戦後の調査では、弥生時代後期の竪穴住居跡が数多く見つかっており、見晴台遺跡にムラが営まれていた。このムラの周りには直径約200m、幅,深さとも約4mのV字形断面をした環濠に検出された。ムラではこれまでに220軒以上の竪穴住居跡が見つかっており、ムラ自体は200年ほど続いたと考えられているが、朝日遺跡など周辺の複数の環濠集落とほぼ同時期に見晴台でも環濠が埋められており、この地域での勢力の統一が行われたことが考えられる。
古墳時代の遺構はほとんど検出されていないが、平安時代以降には集落が存在したほか笠寺観音の寺領となった時期もあり、平安時代から室町時代にかけての陶器などが出土している。
また、太平洋戦争時には笠寺高射砲陣地が置かれ高射砲6基が設置されたが、その内2基の砲台跡などが残されている。