前田城跡〔速念寺〕
まえだじょうあと〔そくねんじ〕(Maeda Castle Ruins[Sokunen-ji Temple])
【C-AC196】探訪日:2018/3/17
愛知県名古屋市中川区前田西町1
【MAP】
〔駐車場所〕
前田城は前田速念寺の境内にあったとされるが、遺構は残されていない。前田氏は代々與十郎を称し、前田城を中心に荒子城,蟹江城,下之一色城などを支配していた。
1584(天正12)年、小牧長久手の合戦の際に前田長定は前田城(下之一色城とも)を子の長種に任せて織田信雄の指示で佐久間正勝(信栄)の守る蟹江城の守備についていたが、羽柴秀吉方の滝川一益の誘いを受けて秀吉方に寝返ったために、織田・徳川連合軍に攻められ落城、長定は船で退去するところを家康の命により妻子共々討ち取られたと言われている。前田城の長種は降伏し、城は破却された。のちに前田利家の叔父利則は、出家して意休と号し城跡の速念寺初代住職となっている。速念寺境内には前田城最後の城主とされる前田與十郎長定(種定)の墓がある。
通説では、前田利家は1538(天文7)年に前田城で誕生し、1544(天文13)年7歳の時に荒子城に移ったとされているが、定かではない。