蟹江城跡
かにえじょうあと (Kanie Castle Ruins)
【C-AC217】探訪日:2018/6/2
愛知県海部郡蟹江町江本町城1丁111 (蟹江城址公園)
【MAP】
〔駐車場所〕蟹江町歴史民俗資料館の駐車場を利用できる。
永享年間(1429~40年)に北条時任が城塞を築いたのがはじめとされ、戦国時代の1555(弘治元)年には今川方の松平広忠によって攻略され、その後も長島城主服部友貞の元、織田氏との対立の場となる。1567(永禄10)年には友貞の資金により、織田家家臣滝川一益によって再構築され、その後の北伊勢進攻(1568~70年)、長島一向一揆(1570~74年)鎮圧の拠点となった。 1583(天正11)年、一益が賤ヶ岳の戦いの後に羽柴秀吉に敗れ、佐久間信栄が城主となる。 翌1584(天正12)年には小牧・長久手の戦いにおける蟹江城合戦で秀吉方となった一益によって一旦は攻略されたが、徳川家康・織田信雄の大軍に包囲され、和睦により徳川・織田勢に引き渡された(一益は殺害を恐れ伊勢に逃亡)。1585(天正13)年の天正地震により城は壊滅した。
戦国時代には、本丸,二の丸,三の丸があり、大野城,下市場城,前田城の三つの支城があった。現在は住宅地に城址の石碑と本丸井戸跡が残るのみである。