一色城跡
いっしきじょうあと (Isshiki Castle Ruins)
【C-AC238】探訪日:2019/3.9・2024/2.3
愛知県知多郡南知多町内海前山
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、室町時代初め、大野城主・一色範氏が伊勢湾の航海権を制圧するため、海に面した地形の利を利用し内海谷の東南端に築いたとされる。また、一色氏は重臣として近江国甲賀の小佐治より佐治氏を迎えた。やがて、佐治氏は一色一族の家督争いに乗じて主家を凌ぐ勢力となり、主家の一色氏を知多より追い出し、さらに知多半島の先端にある師崎の幡豆崎を奪った。伊勢湾と三河湾を結ぶ重要な要衝を手にした佐治備中守為縄は、防御性の高い岡部城(内海城)を築き居城とした。
一色城は舌状丘陵の西端に築かれた城で、現在は2つの曲輪(主郭,Ⅱ郭)、その東側に高さ約2m,幅約8mの土塁と深さ約4m,幅約10mの掘切が残されている。なお、堀切の東側にも数段の平坦地と段状地形が続くが、大半は畑地,荒地となっており遺構の確認は難しい。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 室町時代 | 戦国時代 |
関連年号 | 1493年・1505年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
一色範氏 | G350 | 佐治為縄 | **** |
2回目の訪問では前回あきらめた土塁と堀切まで進んでみた。前回同様、主郭の笹の密集度合は半端なく方向感覚を失うほどであるが、かき分け踏みつけ何とか東へ進むと、写真ではわかりづらいが土塁の高まりが現れた。さらに進むと堀切に落ち込む。堀切底も竹が茂っているが、部分的には堀切の深さを十分感じることができた。なお、Googleマップに「一色城跡」のポイントが近くに2ヶ所みられるが、間違いと思われる。
一色城縄張図(『愛知県中世城館跡調査報告』に加筆)