大野城跡
おおのじょうあと (Ono Castle Ruins)
【C-AC006】探訪日:1989/7/23・2014/3/9
愛知県常滑市青海町5丁目8
【MAP】
〔駐車場所〕
宮山城とも呼ばれる。築城年代は定かではないが、1350(観応元)年頃、三河国守護の一色範氏が知多半島に勢力を伸ばし、その子・一色範光が築城し、大野湊を中心とした伊勢湾の海運を手中に収めた。しかし、一色氏は将軍足利義政と対立して三河守護職を失い、応仁の乱を経て次第に勢力を衰退させ、尾張国守護の土岐氏に大野城を奪われる。土岐氏は家臣の佐治宗貞を入城させた。
3代目の佐治信方は織田信長に従い、1574(天正2)年の長島一向一揆で戦死した。跡継ぎの佐治一成は幼少であったため、信長の弟の織田長益(有楽斎)が大野城主となったが、城の水利が悪いことから北に大草城を築城して移った。一成はその後、織田信雄に仕え、1584(天正12)年の小牧長久手の戦い後に徳川家康の三河帰陣に船を提供したことで羽柴秀吉と敵対して城を追放され、大野城は廃城となった。
なお、徳川2代将軍秀忠の正室となった浅井長政の娘・江(小督)が最初に嫁いだのが大野城の佐治一成である。1584年春頃とされる。
城は伊勢湾を望む小高い丘陵(青海山)にあり、主郭部は城山公園として整備されている。堀跡が一部残り、櫓台跡に城主であった佐治氏を祀った佐治神社がある。また、角櫓形の展望台(復元形状ではない)が建てられている。