大草城跡
おおくさじょうあと(Okusa Castle Ruins)
【C-AC046】探訪日:2014/3.9・2021/3.22
愛知県知多市大草東屋敷118-4
【MAP】
〔駐車場所〕
大野城主であった佐治信方が1574(天正2)年に長島一向一揆で戦死し、跡継ぎの佐治一成が幼少だったこともあり織田信長の弟の織田長益(有楽斎)に知多郡が与えられ大野城主となった。築城年は定かではないが、長益は大野城は水利が悪いため、大野城と矢田川を挟んで北の地に大草城の築城を開始した。しかし、1584(天正12)年の小牧長久手の戦い後、長益が摂津国に移封となったため完成を待たずして廃城となった。いわば未完の城である。
ただ、知多郡の防御上重要視され、江戸時代に入ると尾張藩は1666(寛文6)年、家老の山澄淡路守英龍に大草の地を与え、城址近くに居を構えさせ、歴代、城址の保全にあたらせた。
城は知多半島の伊勢湾側の北部にある平城で、本丸,二の丸,三の丸を配し、本丸と二の丸の周囲を水堀と土塁で囲った梯郭式縄張が良好な状態で残されている。1970年代から城址全体を公園として整備し、1979(昭和54)年には二層の模擬天守の展望台が設置された。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 | 江戸時代:前期 |
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関連年号 | 1574年・1584年 | 1666年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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佐治信方 | **** | 織田長益(有楽斎) | OD10 | 山澄英龍 | **** |
大草城縄張図(『愛知県中世城館跡調査報告』に加筆)