徳定城跡
とくさだじょうあと (Tokusada Castle Ruins)
【C-AC246】探訪日:2019/4/20
愛知県新城市徳定
【MAP】
〔駐車場所〕
1556(弘治2)年、野田城主の菅沼定村によって当地警備のため築城され、弟の菅沼又左衛門を入れたとされる。1569(永禄12)年に又左衛門が遠江国引佐郡の刑部城へ移ると、代わって野田城の家臣塩瀬久次,久俊の居城となった。さらに、1575(天正3)年には奥平信昌の家臣が居城し、1590(天正18)年、奥平氏の関東移封に伴い廃城となった。 城は丘陵地に築かれ、曲輪跡は二段になっており、堀跡は現在は公道となっている。東と南側の住宅地は「城」と呼ばれ、家臣屋敷地だったと伝えられている。
【史跡規模】
【指 定】【国 宝】 【国重文】
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