刑部城跡
おさかべじょうあと (Osakabe Castle Ruins)
【C-SZ047】 探訪日:2018/7/22
静岡県浜松市北区細江町中川5594
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代や築城者は定かではないが、戦国時代には今川義元の家臣新田美作入道が居城していた。三方を都田川で囲まれた標高5mほどの小規模な城である。
1513(永正10)年、斯波氏の家臣だった井伊家当主の直平が籠城した三岳城を今川氏が攻め落としたときの足掛かりとして使用された。
1568(永禄11)年12月、 徳川家康が井伊家重臣の井伊谷三人衆を道案内として遠江へ侵攻したときには、今川方の庵原忠良,長谷川秀匡らの兵やこの地の人々がここに城柵を築いて立て籠ったが、徳川軍に圧倒され落城した。その後、菅沼又左衛門が入城している。なお、城が落ちたとき、城主の美しい姫が敵にかかって恥をさらすことを厭い、城のそばの池に身を沈め金襴の蛇に姿を変えたという言い伝えが残っている。その池(金襴の池)は今は埋め立てられている。
また、1572(元亀3)年12月、武田信玄が三方原の戦いで家康に勝利したあと、ここに翌年まで滞在し(異説もある)、滞在中に三方原の大勝利の報を各国の武将に通報したという。
城の縄張りは、主郭が現在の金山神社境内、堀切を隔てて西側(現在は竹藪と化している)に二の郭を配している。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1513年・1568年・1572年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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新田美作入道 | G*** | 徳川家康 | TG01 | 庵原忠良 | **** |
長谷川秀匡 | **** | 菅沼又左衛門 | G*** | 武田信玄 | G425 |
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▲二ノ郭跡を北側より見る
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▲二ノ郭跡(左側が本丸跡)
▲館跡
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▲二ノ郭跡(金山神社)の入口
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▲二ノ郭跡(金山神社)
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▲「金襴の池」説明板