井伊谷三人衆墓所〔龍潭寺〕
いいのや さんにんしゅう ぼしょ〔りょうたんじ〕(Graves of Iinoya Threesome [in Ryotan-ji Temple])
【K-SZ003】探訪日:2013/5/3
静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1989
【MAP】
〔駐車場所〕
1568(永禄11)年末に徳川家康が遠州攻めを行った際に今川氏真から徳川方へ離反した近藤康用,菅沼忠久,鈴木重時の3人のことをいう。遠州浜名湖の沿岸部を有する領主たちは、今川氏への忠誠心が比較的強かったため、家康は遠江侵攻の障害となることを危惧し事前に、東三河の菅沼定盈を使って懐柔工作に動いた。定盈は、同族の菅沼忠久に接触、忠久が縁戚の鈴木重時を抱き込み、近藤康用まで取り込んだ。これにより家康は、強固な浜名湖西岸部よりも防備の弱まった井伊谷から三河主力軍を進めて、曳馬城の早期制圧を果たした。この3人は家康の命を受けて、後に徳川四天王の一人である井伊直政の配下に付けられた。
近藤康用は、1588(天正16)年に閉居先の井伊谷で死去。菅沼忠久は、1582(天正10)年に死去とあり、直政への貢献度は少なかったと考えられる。鈴木重時は、1569(永禄11)年、家康の下命を受けた堀江城攻撃の際に城方の攻撃を受け命を落とした。
なお、3人の子孫たちはいずれも後に井伊家を離れている。