鷺山城跡
さぎやまじょうあと (Sagiyama Castle Ruins)
【C-GF013】探訪日:2015/9/5
岐阜県岐阜市鷺山150
【MAP】
〔駐車場所〕
文治年間(1185~90年)に佐竹秀義によって築城された。標高68mの鷺山の山頂にある。
1353(文和2)年、美濃国守護大名である土岐氏がに川手城を築城するとその支城となったとされる。
さらに、1509(永正6)年に土岐政房の命で斎藤利綱が福光御構の普請を行っており、川手城から鷺山城に美濃守護所が移された。1519(永正16)年に土岐政房が死去すると、政房により追放されていた土岐頼武と守護代・斎藤利良は越前国の朝倉孝景の支援を受けて、福光御構,鷺山城,池戸城を落とし福光御構に入った。1525(大永5)年には、頼武の弟・土岐頼芸に鷺山城が占拠されたが、翌年までに頼武は鷺山城を奪い返している。この内訌は1530(享禄3)年まで続いたが、長井長弘や長井新左衛門尉(斎藤道三の父)に支援された頼芸方が勝利し、頼武は大桑城に入った。
1541(天文10)年、利政(道三はこの頃斎藤利政と名乗る)による土岐頼芸の弟・頼満の毒殺が契機となって、頼芸と利政との対立が始まり、1542(天文11)年には利政が頼芸の居城大桑城を攻め、頼芸とその子・頼次を尾張へ追放し、事実上の美濃国主となった。
1548(天文17)年、道三は息子の斎藤義龍に家督を譲り、岐阜城(稲葉山城)を出て鷺山城に隠居した。濃姫は1549(天文18)年2月24日にここから尾張国の織田信長に嫁いだため、鷺山殿と呼ばれている。
そして、1555(弘治元)年、義龍は、道三が義龍の弟・龍定に家督に譲るつもりと思い、道三を鷺山城から追放し、翌1556(弘治2)年4月20日、長良川の戦いで道三を討ち取った。この戦いの後、鷺山城は廃城となったとされる。
なお、同年9月19日、義龍軍は道三の正室・小見の方の実家である明智城を攻め落としている。