隣接する身隠山御嶽古墳と合わせて身隠山古墳群と呼ばれている。古墳名は墳丘上に祀られていた神社名に由来する。築造年代は古墳時代前期後半4世紀後半とされ、同市内の長塚古墳と同時期、身隠山御嶽古墳よりやや早い時期と考えられている。推定直径約42m,高さ約4.5mの二段築成の円墳である。
墳頂部にはかつて白山神社が建てられていたが、1902(明治35)年、玉垣修理の際に埋葬施設が発見され、主体部は竪穴墓礦で木棺が納められていた。ここから内行花文鏡1,だ龍鏡1の他、石剣1,車輪石1,鍬形石4,紡錘車1,筒型石製品1,三輪玉様石製品1,鉄斧2,直刀5,巴形銅器2が出土している。