戸木城跡
へきじょうあと (Heki Castle Ruins)
【C-ME036】探訪日:2019/10/27
三重県津市戸木町字桃里
【MAP】
〔駐車場所〕
1554(天文23)年、木造城主の木造具政が家督を子の木造長政に譲り、隠居所として築いた城であり、戸木御所と称したとされる。1569(永禄12)年、具政・長政父子は、伊勢に侵入してきた織田信長から南伊勢の案内を頼まれて信長に属し、その後、北畠家を継いだ信雄に仕えた。
1584(天正12)年、信長が斃れた後の信雄と秀吉の対立による小牧長久手の戦いが発生すると、戸木城は秀吉の軍勢蒲生氏郷によって攻められた。城は増強修復され、木造家一族は将兵数百人とともに約6ヶ月にも及び籠城したが、信雄と秀吉の和睦が成立したことで、長政は城を明け渡して田辺城に移った。 落城後は、一時、中川庄蔵が預かっていたが、慶長年間に廃城となっている。
戸木城は段丘の南端に築かれており、戸木小学校の北側の台地上が城内となる。現在は宅地や田畑となって遺構は残されていない。また、発掘調査によって、戸木小学校のところは堀跡であったことはわかっている。城址碑はここに建つ。