勝瑞城跡
しょうずいじょうあと (Shozui Castle Ruins)
【C-TS005】探訪日:2019/7/19
徳島県板野郡藍住町勝瑞
【MAP】
〔駐車場所〕
勝瑞城は鎌倉時代から戦国時代まで、淡路国,讃岐国,阿波国の政治,経済,文化の中心拠点であった。細川氏9代,三好氏3代の約240年の歴史の舞台となった(詳細はWikipediaおよび【K-TS001】を参照)。築城年代は定かではなく、最も早くは承久の乱の後、阿波守護になった小笠原長清が守護所を設けたという説もある。その後、1363年(正平18/貞治2)年、四国を平定した阿波の管領で秋月城主の細川頼之が秋月城から勝瑞城に移り、阿波守護細川氏・三好氏の歴史を綴ることになる。戦国時代には、細川持隆,三好実休(義賢),その子長治,十河存保が城主となっている。近年の調査の結果、現在の城跡は戦国時代に三好氏によって急造された詰めの城で、1582(天正10)年に長宗我部元親の侵攻を受け、中富川の戦いで三好長治の弟・十河存保が讃岐国に敗走したことで廃城となった。それに伴って勝瑞城を防備してきた板西城,姫田城,西条城などの支城も運命を共にしている。
勝瑞城本丸は三好氏の菩提寺である見性寺の境内地にあり、城跡は東西約84m,南北約60mの方形で、周囲は埋められて狭くなっている部分もあるが幅14mの水濠が巡り、一部土塁も残されいている。
見性寺内の三好氏歴代墓所は江戸時代中期に各所からここに移転してきたものである。
また、平成時代には発掘調査の結果、勝瑞城本丸の南西方向に三好実休の居館跡と推定される勝瑞城館跡が発見されている。