大野田城跡

おおのだじょうあと(Onoda Castle Ruins) 

【C-AC250】探訪日:2019/5/3・2019/6/16

 愛知県新城市野田幹徳

  【MAP】

〔駐車場所〕

   1333(元弘3)年の建武の新政の頃に野田館の富永氏の出城として築城され、応永年間(1394~1427年)の頃には城所浄古斎の砦として利用された。
 1563(永禄6)年、菅沼定盈は今川氏との野田城奪回戦で損壊した野田城を修復する間、この古砦を利用して本丸とし、さらに二の丸,三の丸を北側に拡張して、名を大野田城として居城した。
 1571(元亀2)年、武田信玄の遠江,三河侵攻において山県昌景,小笠原信嶺らおよび武田の軍門に下った田峯城主菅沼定忠,岩小屋城主菅沼満直らの襲来を受けたため、菅沼定盈は自ら城に火を放ち、豊川を渡って宇利から西郷へと逃れた。同年12月、定盈は修築中の野田城を再び本拠とした。 
 1575(天正3)年の長篠の戦い後、奥平信昌が新城城に入ったが、一時期、大野田城も使用していたとされる。
 城址は中市場池の裏手の小道右側から入ることができ、雑木林のなかに主郭土塁,平虎口,郭内の空堀が確認できる。主郭土塁外側(中市場池とは反対側)にも空堀が残る。

【史跡規模】

【指 定】新城市指定史跡(1958年4月1日指定)
【国 宝】
【国重文】

関連時代 南北朝時代 戦国時代
関連年号 1333年 1563年・1571年・1575年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
城所浄古斎 **** 菅沼定盈 G140 山県昌景 G121
小笠原信嶺 G437 菅沼定忠 G139 菅沼満直 G139
奥平信昌 KD13

 

 

 

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【C-AC250】大野田城跡

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▲遠景

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▲主郭

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▲主郭

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▲土塁

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▲堀跡(右上には池の水面が迫る)

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▲堀跡

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▲大野田城跡から南を臨む