中村一氏墓所〔臨済寺〕
なかむらかずうじ ぼしょ〔りんさいじ〕(Grave of Nakamura Kazuuji [in Rinsai-ji Temple])
【K-SZ062】探訪日:2025/3.24・4.12
静岡県静岡市葵区大岩町7-7
【MAP】
〔駐車場所〕臨済寺の参詣者用駐車場がある。
1600(慶長5)年7月17日(8月25日)に病没した豊臣政権の三中老の一人である中村一氏の墓所である。臨済寺に夫人・ひさの墓とともに五輪塔が建つ。
出自については諸説あるが、早くから羽柴秀吉に仕え、石山合戦や1582(天正10)の山崎の戦い、1583(天正11)年の賤ヶ岳の戦いに参戦し、功を挙げた。1583年、いまだ秀吉政権に服属せず緊張状態が続く和泉国の岸和田城主となり3万石を拝領した。1584(天正12)年には、小牧・長久手の戦いで秀吉軍主力が尾張へ出陣中に紀州の根来衆や本願寺残党勢力の攻撃を受けるが、一氏は劣勢ながらも岸和田城を守り切った。
1585(天正13)年に近江国水口岡山城主、1590(天正18)年の小田原征伐後には関東に移封となった家康の抑えとして駿河府中14万石を拝領した。また、1595(文禄4)年、駿河直領(蔵入地)の代官として駿河一国を任され、1598(慶長3)年には三中老の一人に任命された(ただ、三中老は実在しない制度との指摘もある)。
1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いでは東軍に属すが、合戦前の2ヶ月前に病死した。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 安土桃山時代 |
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関連年号 | 1600年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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中村一氏 | H487 |
中村一氏(東京大学資料編纂所所蔵)