狩野貞長墓所
かのうさだなが ぼしょ(Grave of Kano Sadanaga)
【K-SZ068】探訪日:2025/4.12
静岡県静岡市葵区幸庵新田114
【MAP】
〔駐車場所〕
没年は不明であるが、南北朝時代の内牧城主でのちに安倍城を築き、今川氏と対峙した狩野貞長の墓所とされる。 1330年代前半に後醍醐天皇方として鎌倉幕府倒幕に加わり、当初は京都に詰めていた。建武の新政が2年半で崩壊し、後醍醐天皇が吉野へ移ると、南朝方となった貞長は駿河に戻り、北朝方の駿府の今川氏に対抗するため、安倍城を本城として久住砦などの城砦群を築いた。しかし、1392(元中9/明徳3)年の南北朝統一後には今川氏に恭順していく。 墓とされる宝篋印塔は現在の駿府学園(少年院)の南の丘上にあり、貞長の菩提寺は墓所から北西約1.1kmの結成寺である。
【史跡規模】
【指 定】
【国 宝】
【国重文】
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