徳川義直廟所(源敬公廟)
とくがわよしなお びょうしょ(げんけいこうびょう)(Mausoleum of Tokugawa Yoshinao [Genkeikobyo])
【K-AC253】探訪日:2024/3.7
愛知県瀬戸市定光寺町373-1
【MAP】
〔駐車場所〕定光寺,定光寺公園駐車場を利用する。
1650(慶安3)年5月6日、享年51で死去した名古屋藩初代藩主・徳川義直の墓所である。江戸市ヶ谷藩邸にて死去した。亡骸は27日に応夢山定光寺に到着した。諡号は源敬公(二品前亜相尾陽侯源敬公)。定光寺のある春日井原一帯は、義直が好んで鷹狩りを行った荒野であり、この地への深い思い入れも強く、廟所選定の要因ともなったといわれる。
義直は、1600(慶長5)年に徳川家康の9男として生まれ、1607(慶長12)年に尾張藩主となり、御三家のひとつである尾張徳川家の祖となった。名古屋城へは家康没後の1616(元和)年に入城している。柳生利厳より剣術を学び、新陰流第四世を継承した。文教面では、領内では儒教を奨励し、孔子堂の建立や城内の名古屋東照宮の建築を進めた。また、家康の形見分けで受け継いだ「駿河御譲本」に自身で収集した書誌を合わせ蓬左文庫を創設し、現在の図書館の走りとなる文庫とした。歴史書『類聚日本紀』も著している。
源敬公廟は、仏式ではなく儒教式の建築となっている。設計は、明から帰化した陳元贇によるものと伝えられ、儒教の礼制に基づく建物配置と殿舎の銅葺瓦に魚形の正吻や蕨手を乗せるなど、中国風の意匠が一部にみられる。1651(慶安4)年に墳墓・石標、1652(承応元)年に竜の門以奥の門(唐門),殿舎(焼香殿・宝蔵),築地塀が完成し、1699(元禄12)年には獅子の門が建てられた。廟所内には殉死した9名の墓も源敬公墓の前方右に祀られている。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】建造物(獅子の門・龍の門・焼香殿・宝蔵・唐門・源敬公墓・築地塀) |
関連時代 | 江戸時代:前期 |
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関連年号 | 1650年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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徳川義直 | TG11 | 陳元贇 | **** |