大石氏屋敷跡
おおいしし やしきあと(Oishi's Residence Ruins)
【R-SZ038】探訪日:2024/9.15
静岡県掛川市大坂708
【MAP】
〔駐車場所〕道路を挟んだ南側に駐車できる場所がある。
築造年は定かではないが、高天神城の南約3kmに位置する大石氏の屋敷跡である。1574(天正2)年5月、武田勝頼による高天神城攻めの際、大石外記義久(氏久)・新次郎久末の父子は徳川方として高天神城を守備し、父・義久は討死した。徳川家康,織田信長の救援はなく高天神城は開城せざるを得なかったが、久末は開城後、西退組(勝頼に許されて徳川方に帰参した者たち)として大須賀康高の配下となり馬伏塚城に退いた。その後は横須賀城に移る。
1581(天正9)年には徳川方による高天神城奪還戦が繰り広げられるが、屋敷の北西約700mにも高天神砦のひとつ三井山(大坂)砦が築かれた。
1582(天正10)年に織田軍の甲州征伐で武田氏が滅亡すると、久末は大坂村に帰農して、地域の開発に尽くしたという。
当時の屋敷地は南側が表口で、東西40m,南北50mを測り、高土塁と東側は幅7mの水堀で囲まれていたという。北東隅と東側の一部に土塁跡が残されている。現在、屋敷跡は私有地となっている。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
関連年号 |
1574年・1581年・1582年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
大石義久 | **** | 大石久末 | **** |