関城跡
せきじょうあと(Seki Castle Ruins)
【C-GF081】探訪日:2024/5.18
岐阜県関市山ノ手1丁目22
【MAP】
〔駐車場所〕安桜山公園駐車場を利用できる。
安桜山城ともいう。1528(享禄元)年、長井藤左衛門長弘によって築かれたと伝えられる。その後、城主は斎藤龍興の重臣・長井隼人佐道利になり、中濃から東濃可児郡あたりまでを勢力下においていたと考えられる。
中濃地方では、尾張で勢力を伸ばしていた織田信長の美濃侵攻に備え、関城主・道利と近隣の加治田城主・佐藤忠能,堂洞城主・岸信周は互いに同盟を結んでいた。
ところが、1565(永禄8)年、佐藤忠能が信長に内通し、同年8月28日に、信長と忠能は堂洞城を攻め落とした(堂洞合戦)。その翌日には、道利が忠能の加治田城を攻撃したが、信長が派遣した斎藤利治に攻められ関城に退却した。9月1日、関城が利治に包囲されると、道利は開城して立ち退き、関は信長の手に落ちた(関・加治田合戦)。その後、関に城主は置かれず、信長は代官を派遣し直轄統治したとみられる。
城は標高152m,比高90mの安桜山に築かれ、山頂の東西に伸びた尾根に主郭を配し、御嶽大神が祀られている(安桜山御嶽神社の境内)。北側の斜面に複数の腰曲輪を設け、主郭の北東には一条の竪堀がみられる。南斜面は急峻な岩壁である。また、安桜山の北から西に関川、東に吉田川、それらは南で津保川に注いでおり、これらは築城後に掘られたもので惣構の機能をもっていたと見られる。
現在、安桜山は公園化されており、主郭の西側には展望台が設置されている。