宇刈北城跡
うかりきたじょうあと(Ukari-kita Castle Ruins)
【C-SZ113】探訪日:2024/4.14・5.11
静岡県袋井市宇刈三沢字時ケ谷
【MAP】
〔駐車場所〕馬ヶ谷公会堂もしくは宇刈神社の駐車場に停めさせていただく。
築城年は定かではないが、宇刈郷の「宇刈七騎」と称された七氏に関係する城とされる。宇刈七騎とは、小野田氏(大日村),村松氏(中村),内藤氏(馬ヶ谷村),長谷川氏(三沢村),富永氏(一色村),村松氏(市場村),西尾氏(下村)の七ヶ村の土豪連合体で、今川氏に仕えていた。近隣には、西に高平山砦,本庄山砦、北には飯田城があり、これらとの関連性も窺える。
城は標高62ⅿ,比高39mほどの馬蹄形をした細長い丘陵(尾根)上に築かれ、南域と北域に分かれている(宇刈北城,南城とも表されている)。主郭は広さから見て南域と思われる。北域はいずれの曲輪も尾根上の小規模な空間であり、小堀切はみられるものの防御性は低く、むしろ、馬蹄形に囲まれた谷戸部を守る城壁的な意味合いが強い。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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武 |
1回目の探訪では南域を訪れることができなかったため、ほぼ1ヶ月後にあらためて訪れた。最初、登り口を探し歩き回ったが、ようやく西側の奥まった個所からアプローチすることができた。北域の雰囲気とは全く異なる。また、1回目の探訪では北域の一部しか訪れていなかったこと、撮影した箇所がどこの写真だったかわからなっていたため、再度、北域もトライした。尾根が複雑に枝分かれしているため、縄張り図を見ながらでもひじょうにわかりづらい。また、今回は東に延びる北から2本目の細尾根を下りたとき、そのすぐ南のお宅が昔から住んでおられる方だとお聞きしお話を聞くことができた。昔も昔、実は戦国時代の「宇刈七騎」のひとり、馬ヶ谷村の内藤氏24代目とのこと。城について伺うと、本城はやはり南域で、なぜ宇刈北城と名付けたのは疑問だとおっしゃっておられた。昔の内藤家,近隣の城のことなどいろいろな興味深いお話を30分ほど聞かせていただき、めったにはない貴重な時間を過ごさせていただいた。
宇刈北城縄張図(『静岡県の城跡 中世城郭縄張図集成(西部・遠江国版)』に加筆)