本庄山砦跡
ほんじょうざんとりであと(Honjozan Fort Ruins)
【C-SZ112】探訪日:2024/4.14
静岡県袋井市春岡字春日山
【MAP】
〔駐車場所〕春岡神社に駐車場がある。
築城年は定かではなく、宇刈七騎の一人とされ当郷を治めた村松武大夫が永禄年間(1558~70年)に築いたとする説や、飯田氏が勝田之長から横領し飯田城の支城としたとする説などがあり、詳しいことは分かっていない。1497(明応6)年の今川方の伊勢長氏(のちの北条早雲)が遠江三郡侵攻した際に、すでに存在していた可能性もある。
確かなのは、徳川家康が1569(永禄12)年に今川氏真の掛川城攻め(氏真の掛川城開城で終結)の後、この地域を制圧したが、1572(元亀3)年には武田信玄の遠江侵攻(西上作戦)において、徳川方の拠点の久野城を抑えるために攻略されてしまう。西上途中で信玄が死去すると、家康は早速失われたこの地域の城の奪回に動き出し、宇刈,山梨に布陣した武田方の山県昌景,穴山信君らと、南の堀越で合戦となっている。
本庄山砦は、太田川東岸の独立丘陵に位置し、大量の兵を収容できる陣城であったと考えられる。主郭は標高72.7ⅿ,比高48ⅿの春日山の頂部にあり、東西60ⅿ,南北30ⅿを測る。主郭北側は幅15ⅿの堀切で背後を遮断している。主郭の南側東西に2郭,3郭の尾根が延び、それぞれ堀切,横堀で遮断している。その中間部の4郭は広大な空間を有し大量兵員を収容できる駐屯曲輪であった。現・極楽寺の領域は居館跡と推定されている。春岡神社北の5郭も兵の駐屯地ではなかったかと考えられている。全体的に畑地開墾や住宅地開発に伴い改変が進んでいるが、かなりの規模を誇り、徳川・武田双方の手が加えられている。
【史跡規模】 |
【指 定】袋井市指定史跡 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
---|---|
関連年号 | 1558~70年・1572年・1573年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
---|---|---|---|---|---|
村松武大夫 | ***** | 飯田氏 | **** | 勝田之長 | F0** |
徳川家康 | TG01 | 武田信玄 | G433 | 山県昌景 | G121 |
穴山信君 | G427 |
本庄山砦縄張図(『静岡県の城跡 中世城郭縄張図集成(西部・遠江国版)』に加筆)