本郷城跡
ほんごうじょうあと(Hongo Castle Ruins)
【C-GF073】探訪日:2024/2.27
岐阜県揖斐郡池田町本郷字北瀬古
【MAP】
〔駐車場所〕城跡東側の城跡入口に駐車場がある。
築城年は定かではないが、古くは平安時代前期に、城郭が築かれ池田宮内少輔維実が在城していたという。
南北朝時代には、足利幕府から美濃守護職に任命された土岐頼忠が入城したが(頼忠が築城したともいわれる)、頼忠が1397(応永4)年に没すると、子の頼益が跡を継いだ。頼益は尾張に移り、再び美濃へ戻り美濃国守護となったときには川手城に住した。応仁・文明年間(1467~86年)初期には土岐氏の家臣・国枝大和守為助が太郎ヶ城から移り本郷城を居城とした。1495(明応4)年、船田合戦で為助は斉藤妙純と戦い兄弟5人と共に討死したが、国枝氏はその後も5代約200年にわたって居城した。
1600(慶長5)年の関ケ原の戦いでは、6代・国枝修理亮政盛は岐阜城主・織田秀信に仕えていたため西軍に属し、東軍によって城は焼き払われ、国枝氏は没落した。
なお、稲葉良通(一鉄)は1514(永正11)年に本郷城で生まれたとされる。良通の母は国枝正助の娘である。
本郷城は二重の堀と土塁を巡らせた輪郭式平城であり、城域は東西約116m,西辺約149m,東辺約68mの不整形な台形を呈していたと推測されている。本丸(二の丸とも)北西隅に櫓台があり、かつては堀や土塁が点在していたというが、現在は櫓台跡を含む35m四方のみが残されている。