正法寺(岐阜大仏)
しょうぼうじ(ぎふだいぶつ)(Shobo-ji Temple [The Great Buddha of Gifu])
【T-GF009】探訪日:2024/2.24
岐阜県岐阜市梶川町8 <📲:058-264-2760>
【MAP】
〔駐車場所〕参詣者用駐車場がある。
1683(天和3)年、大休禅師の命を受けた広音和尚が金華山麓に草庵を結んだのが始まりとされる。1692(元禄5)年、千呆禅師を開山とし、黄檗山萬満寺の末寺(黄檗宗)となった。
江戸時代後期の寛政の頃、第11代・惟中和尚は相次ぐ大地震や大飢饉に心を痛め、これらの災害で亡くなった人々の菩提のために、1787(天明7)年に大釈迦如来像(岐阜大仏)の建立を発願した。1791(寛政3)年頃から、大仏に使用する経本を各地を托鉢しながらひたすら集め、1794(寛政6)年には大仏の頭部が完成。1815(文化12)年、惟中は志半ばで亡くなり暫く中断するが、第12代・肯宗和尚はその志を引き継ぎ、1832(天保3)年4月、大釈迦如来像は遂に完成した。胎内仏として、革手城城下にあった正法寺の本尊である薬師如来像が安置された。平安時代の円仁(慈覚大師)作との伝承がある。
岐阜大仏は日本三大仏のひとつともいわれ、塑像漆箔で造られた日本最大級の乾漆仏である。像高13.63m、顔の長さ3.63m、目の長さ0.66m、耳の長さ2.12m、口幅0.70m、鼻の高さ0.36mを測る。周囲6尺(約1.8m:直径約57cm)のイチョウの木を真柱として、木材で骨格を組み、竹材を編んで仏像の形を形成する。この竹材の上に粘土を塗り、一切経,阿弥陀経,法華経,観音経等の経典が書かれた美濃和紙を貼り付けて漆を塗り、金箔を貼っている。経典は当時の住職が読経し、一枚一枚貼られている。使われた経典は四万巻に上るとされる。籠を編むように造られたことから、別名を「籠大仏」ともいわれる。
岐阜大仏,胎内仏薬師如来坐像,木造阿弥陀如来坐像は岐阜県指定重要文化財、および大仏殿は岐阜市の指定重要文化財となっている。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 江戸時代:前期 | 江戸時代:中期 |
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関連年号 | 1683年・1692年 | 1787年・1794年・1832年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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広音和尚 | **** | 千呆禅師 | **** | 惟中和尚 | **** |
肯宗和尚 | **** |