仲津山古墳

なかつやまこふん(Nakatsuyama-Kofun Tumulus)

【K-OS050】探訪日:2017/11.13

【K-OS050】仲津山古墳 大阪府藤井寺市沢田4丁目

【MAP】

〔駐車場所〕

【K-OS050】仲津山古墳

   実際の被葬者は明らかではないが、宮内庁により仲津山陵として第15代・応神天皇皇后の仲姫命の陵に治定されている。古市古墳群(世界文化遺産)を構成する古墳の1つで形状は前方後円墳である。古市古墳群の北部、誉田御廟山古墳の北東に位置する。墳丘規模は全長290m、後円部直径170m,高さ26.2m、前方部幅193m,高さ23.3mを測り、古市古墳群で2番目、全国でも9番目の大きさを誇る。墳丘は三段築成で、葺石と埴輪が確認されている。くびれ部の両側には造り出しがあり、国府台地の最高所にあるため、周濠は空濠に近い湿地帯になっている。
 主体部については不明であるが、石棺が存在することや勾玉が出土したことが伝えられている。また、発掘調査により、外堤外法面に葺石が施されていることが判明した。出土した埴輪の特徴から、古市古墳群の巨大前方後円墳では、津堂城山古墳に次いで古く、4世紀末から5世紀前半の築造と推定されている。
 被葬者については、宮内庁が応神天皇陵に指定する誉田御廟山古墳の一世代前の古墳であることから、仲姫命ではなく応神の父である第14代・仲哀天皇の陵墓とする説もある。仲津山という名称自体も仲哀天皇の和風諡号であるタラシナカツヒコに由来するともいわれている。宮内庁が仲哀陵に指定しているのは岡ミサンザイ古墳であるが、墳丘の形状や埴輪の編年から5世紀末の築造が有力視されており、仲哀天皇が在位したとされる年代との間には100年近い隔たりがある。ただ、仲哀天皇についてもその実在自体を疑う向きがあり、その崩御年(古事記では362年)と仲津山古墳の築造年代(推定380年頃)とは一世代か二世代程度の隔たりがある。

【史跡規模】

【指 定】国指定史跡:周堤(2021年3月26日指定)

     世界文化遺産:古市古墳群(2019年7月6日登録)

【国 宝】

【国重文】

関連時代 伝承の時代(古墳時代:中期)
関連年号 4世紀末~5世紀前半
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
仲姫命 K103 応神天皇 K201 仲哀天皇 K104

 

【K-OS050】仲津山古墳
  

 

【K-OS050】仲津山古墳
 古墳時代の出来事については「古墳時代」を参照。

 

仲津山古墳と古室山古墳(Googleマップ航空写真)

【K-OS050】仲津山古墳 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)