菅生神社
すごうじんじゃ(Sugo Shrine)
【S-AC059】探訪日:2023/9.23
愛知県岡崎市康生町630-1
【MAP】
〔駐車場所〕
創建年代は定かではないが、社伝によれば、起源は第12代・景行天皇の時代(110年といわれる)にさかのぼる。景行天皇の子・日本武尊が東国平定のために菅生の地を通過した際、高石に伊勢大神を勧請し、神社を建て「吹矢大明神」と称したという。高石は現在の満性寺あたりを指す。
725(神亀2)年、御神託により京都伏見から稲荷大明神をお迎えし、吹矢大明神の同殿に合祀し、社地を亀井戸の地(六地蔵町1丁目)に移した。
1517(永正14)年、額田郡宮崎郷に勧請された牛頭大王が洪水で岡崎高石の地に流れ着き、翌1518(永正15)年に本社を造営し「菅生天王」と称した。1523(大永3)年には岡崎城主・松平信貞が境内に12末社を勧請している。また、1566(永禄9)年、徳川家康が社殿を再建した。
家康が関東移封となり岡崎城主が豊臣方の田中吉政になると、1591(天正19)年には城郭拡張のため社領などが没収され、12末社も破却され、岡崎城内殿橋東側の地に移転となった。
江戸時代に入ると、1638(寛永15)年に城主・本多忠利が本殿を修復し、その際に石鳥居を寄進した(神社北入口に現存:岡崎市指定文化財)。1646(正保2)年12月17日には、城主・水野忠善が徳川家康を祀った。
1868(明治元)年、菅生神社と改称。1876(明治9)年には岡崎公園内の龍城神社境内に移転したが、1890(明治23)年には再び殿橋東側に移転し、1901(明治34)年に現在地へと移された。
1945(昭和20)年7月19日未明の岡崎空襲で社殿が焼失したが、その後、再建され現在に至る。