満性寺

まんしょうじ (Mansho-ji Temple)

【T-AC032】探訪日:2016/3/5・2021/12/16

【T-AC032】満性寺 愛知県岡崎市菅生町元菅57 <📲:0564-21-5645>

【MAP】

〔駐車場所〕門前に参詣者用駐車場がある。

   1289(正応2)年、親鸞聖人の孫弟子となる了専とその弟・親重が河内国より三河国に赴き、当地に寺を建て田生山満性寺と号したのが始まりとされる。
 その後、足利尊氏が上京の際に参詣し、武運長久を祈願した。1342(延元3/暦応5)年には伽藍が建立され、足利義詮は尊氏の菩提を弔うために田畠7段を寄進している。
 15世紀中葉における本願寺蓮如による三河教団の分裂、本願寺派へのくり込みの際には高田派に帰属した。16世紀の高田派の応真と真智による相続争いに際しては、妙源寺とともに真智方の中心寺院として活動したため、次第に権威は後退した。
 1496(明応5)年、松平親忠が境内地を寄進し、翌年には太子堂が建立されたが、1506(永正3)年に今川氏親の三河侵攻の際、兵火によって焼失してしまった。1532(天文元)年、本堂が再建され、松平氏や在地の領主層の帰依を受けて不入の寺内を認められることとなる。1563~64(永禄6~7)年の三河一向一揆の際は、一向宗寺院にもかかわらず松平元康に味方している。
 なお、現在の本堂は1691(元禄4)年、太子堂は1648(慶安元)年、鐘楼門は1662(寛文2)年に再建されたものである。
 当寺では色紙阿弥陀経(国重文)のほか、了専が所持したという木造南無仏太子像(県文)、木造出山釈迦立像(市文)などの彫刻,絵画,書跡の文化財を多く所蔵している。また、天保の四老人とされる当地出身の俳人・鶴田卓池の句碑と墓がある。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】

【国重文】色紙阿弥陀経

関連時代 鎌倉時代 南北朝時代 戦国時代 江戸時代:前期
関連年号 1289年 1342年 1497年・1506年・1563年 1648年・1661年・1691年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
了専 **** 親重 **** 足利尊氏 G332
松平親忠 MT01 今川氏親 G360 鶴田卓池 ****

 

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鐘楼門 鐘楼門 鐘楼門 本堂 経堂 太子堂 太子堂 太子堂 太子堂 鶴田氏墓所 鶴田氏墓所 鶴田卓池の句碑