妙源寺

みょうげんじ (Myogen-ji Temple)

【T-AC055】探訪日:2020/3/12

【T-AC055】妙源寺 愛知県岡崎市大和町沓市場65 <📲:0564-31-5402>

【MAP】

〔駐車場所〕

   1235(文暦2)年、親鸞が関東より帰郷する途中、当地に立ち寄ったことが始まりとされる。付近の領主安藤薩摩守信平は親鸞を柳堂に招き説法を聞いた。なお、柳堂は当初、安藤氏が奉持した聖徳太子御直作の尊像を安置していたことから太子堂と呼ばれていた。親鸞の教えに感化された信平は武門を仏門に入り念信と改名し、1258(正嘉2)年に寺を建てて明眼寺と名付けたと伝えられる。16世紀の高田派の応真と真智による相続争いに際しては、満性寺とともに真智方の中心寺院として活動したため、次第に権威は後退した。三河一向一揆(1563~64年)の際、徳川家康は本寺に身を寄せ難を逃れた。これにより家康から「源」の一字を与えられ、妙源寺と改称した。三河地方の真宗の道場で最も古い道場と言われ、また桑子城としても機能した。裏には安藤直次墓所高木清秀墓所など、多くの武士の墓がある。また、少年時代に桑子学校に通った本多光太郎博士の墓も本寺にある。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】

【国重文】・妙源寺柳堂 附:厨子及び須弥壇一具、棟札5枚
     ・絹本著色善光寺如来絵伝 3幅
     ・絹本著色法然上人絵伝 3幅
     ・絹本著色親鸞上人絵伝 3幅
     ・絹本著色光明本尊 3幅

関連時代 鎌倉時代 戦国時代
関連年号 1235年・1258年 1563~64年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
本願寺範宴(親鸞) F331 安藤信平 G511 徳川家康 TG01
安藤直次 G512 高木清秀 G161 本多光太郎 ****

 

【T-AC055】妙源寺
  

 

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【T-AC055】妙源寺

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▲楼門

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▲本堂

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▲本堂

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▲楼門

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▲柳堂と本堂

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▲柳堂

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