松平義春墓所
まつだいらよしはる ぼしょ(Grave of Yoshiharu Matsudaira)
【K-AC223】探訪日:2023/6.26
愛知県岡崎市上青野町稲前西44
【MAP】
〔駐車場所〕駐車場はないため、近辺の広い道路に路駐させていただく。
青野城跡とされる来迎院境内の一角にある松平義春の墓所である。義春は戦国時代初期に青野に来住し城館を構え、東条(青野)松平家の祖となった。義春は常に松平宗家に忠節であったことが伝えられている。
その没年は定かではなく、反目していた松平信定(1538年死没)と前後して病死したとも、1556(弘治2)年の日近合戦で戦傷死した子息の松平忠茂と相前後して病死したともいわれる(後者は有力)。また、『六ッ実村史』には、来迎寺への埋葬は日近合戦で戦傷死した義春の遺命によるとしているが、日近合戦で戦死したのは忠茂であるため、この場合、墓地の被葬者は松平忠茂の可能性があると指摘されている。
このほか西尾市吉良町の花岳寺にも松平義春の墓地が在る。